人間は、『社会性』を持った生き物だ なんて言われてる。
こんにちは、けたろーです。
さて、主題の件…
人との縁とか、関係とか。
ふと思ったことがある。 それは、人との関係。 『ご縁』なんて言葉があるけど、ある時、あるキッカケで出逢って、で、仲良くなって、そんな関係も密になって…
この関係って、いいなぁ。 ずっと続けばなぁ…
なんて思ってると、その終焉は突然にやってきたりして。
出会いのきっかけが突然だとすれば、別れのきっかけも突然めいてることもある。 あれだけ親しかったのに、なんで? みたいなの。
もっとも、終わってしまうという流れの中には、恐らく、何かしらの蓄積があるんだろうけど。
ステージの話し
そんなことを思ってると、『ステージ』についての話しがある。
ステージとは、レベルというか、グレードというか、等級というのか、ランクというか… ともかく、そういう類のやつ。 出逢いは概ね、同等レベルなのが多い。
ステージとは、波長や波動ともいえるかな。 同一の波長をもったものが惹かれあう… というそんなイメージ。
出逢いがあったとしても、単に面識を持つと言うだけなら、ステージが違っていても出会いがあるわけで。 けど、ここで言う出逢いは、その後の関係が続くという点。
自分がその『ステージ』にいるとするなら、そのステージに居る方との出逢いがある… と言う感じ。 しっくりくる… というのが適当なのかも。 で、その反面の別れを考えてみる。
相手のステージが上がったのか? それとも下がったのか? それとも、自分のステージが変ったのか? 変ったとするなら、どのようにそれが変ったのか?
_なんてことを思ってしまうんだよね。
その相手といて、居心地がいい、悪い。 … なんてことも聞いたことがある。 居心地がいいとするなら、たぶん波長があってるということ。 つまり、同一のステージにいるということだ。
反面、居心地が悪いと感じたのなら、どうなんだろう? 自分の居場所が、どっち側に進んでる? っていうことが気にならない?
もし、ステージが下がっているとするなら、それはちょっと考えもんだなって。 下がるということは、劣化? のニュアンスがあるもんね。 逆に、上がったとするなら、次の相手はどんなだろう? って思う。
これって、友達間でも、仕事の仲間であれ、夫婦の間でもあるのかなって思ったりする。
ステージを経て、ご縁からの…
ともあれ、まずは、どんなきっかけにせよ『良縁=素敵な出会い』があるにこしたことはない。 もしくは、それが最悪なきっかけ(出逢い)であったとしても、最良の縁になっていけるのであればこの上ないことだ。
昔のことで出会いを考えれば、そのきっかけはすごく限られた範囲だったのだと思える。 例えば、オーソドックスなところでは、職場や学校などがそれ。 もっと勇気がもてるなら、毎日の通勤通学途上での出逢いとか、たまたまの飲食店の中とかね。
それが今や… マッチングアプリとか、SNSとか。 きっかけだけなら、ものすごい範囲が広くなっている。
それこそ、望む望まないは別にして、自分の趣味、趣向とは全く違う、別人種! みたいな人とも出逢える確率も高くなったよね。
_などいうことを考えていくと、自分が自分の内面的に勝手に線引きしてた外の世界の人と繋がれるということであって、もしかすると、自分の知らなかった、気が付いていない〝自分自身の何か違った可能性を見つける〟といった出逢いにつながっていけるのかもしれないなと。
社会性があるからこそ
自分という存在を、社会という中に置いたとき、やっぱり、『出逢い』による自身の成長は大きいのだと思える。 もちろん、『出逢いと別れはセット』だということを思えば、別れの中にも成長の糧はあるわけで。 当然、その関係の中には、うれしさ、悲しみ、苦しみ、なやみ、分かち合いとか… いろんな学びがある。
なんてことを考えてると、アレだよ。 人の関係というか、人同士の関係ってすごいなぁって思うんだよね。
って話しでした。 w
役に立ちそうな本。