ゆとり と 余白 と。

『ゆとり』と、〝余白〟。 この言葉を聞いて、どんな風なニュアンスと言うか、印象を持たれますか?

こんにちは、けたろーです。

さて、主題の件…

目次

ボクが感じた印象。

『ゆとり』と、〝余白〟。 

どっちにも言えるのが、時間的とか空間的に〝スペース〟があるような感じ。

_ なのだけど… 

ある時、『ゆとり』と〝余白〟ということを聞いていて、ボクがそれぞれに抱いた印象というか、感覚は、『ゆとり』の方がポジティブな印象を受けて、〝余白〟の方が、なんだかネガティブな印象に感じたのだ。

ゆとり と 余白。

まず、『ゆとり』について。 

ベースにあるイメージが、『豊かさ』と言う感じかな。 その身も、心も、豊かである上で、『ゆとり』ができる… と言う感じ。 豊かさとは、経済面でのことも含まれていて、また、人間関係とか仕事もそうだし、全てにおいて〝良好〟な状態の上で成り立つ〝空間(スペース)〟みたいな感じ。 余裕とも言うのか… 

一方の余白。

ポジにも受け取ることができるのだろうけど、反面、ネガなイメージにも… ボクが抱いた印象は、

余白って隙間のことで、ブランクともいいかえれる。 で、例えば、仕事を考えてみれば、『仕事のない』状態もそれはそれで〝余白〟だ。 その〝仕事がない〟状態が一過性で、1~2日程度のごくごく短いスパンを想定するなら、それは特に問題のない【余白】なんだと思える。

けど、スケジュールがガラガラで、見込みがないような長期にわたる場合にはどうなんだろう? って思ってしまったわけ。苦笑 

その時の余白って、あんまりよくないよなぁと。 仕事とは、経済力ともいえる。 となれば、ゆとりで思ったことに対して逆の立場が生まれてしまうんだろうなって。

適度な仕事や適正な状態があって、そこに余白があるのならそれは健全だと思えるのだが、ガラガラの〝余白〟は、精神的には安定しない。 要は、「心」に余裕が生まれないということだ。

余裕がない状態なら、〝余白〟があったとしても心底楽しめない。

最良な〝余白〟。

ゆとりを持つことは大事なことだと思う。 それがない状態が続くことを考えれば、なんだか、すごく疲弊してしまうというか、へとへとで、くたくたで、何かに押しつぶされそうなくらいしんどい感じになってしまう。

ゆとりも、余白も同義だとするなら、〝最良な余白〟を得るためにどうすればいいのだろう? って思う。

まずは、ベースな部分を整える他ないのかなと思える。

イメージは、びっしり細かい文字で何かが書かれた紙。 非常に見づらいし、余裕が感じられない。 見やすくするためには、ある程度のスペースが必要だ… と言う感じかな。 スペースが余白。

けど、もし、それが真っ白な紙なら、それは〝余白〟とはいえないのではないか? ということなんだろうなと。


ゆとりと余白で、そんなことを思った次第。

とはいえ、ボクのこの感覚・感情は、仕事の流れに起因してるのは明確なんだよなぁ。 仕事の事がらを抜きにして、「余白」のことを考えると、やっぱ、時間の使い方なんだろうよ。 日々の生活の中で余白を生むためには、余計なこと、余分なことをしないということだろう。

今の時代を思えば、端的には、『スマホ時間』をやめてみたり、無駄にテレビやメディアを観るのをやめてみるとか… そういったことで、余白は生まれてくるのだと思う。

余白とは、自分(と向き合う)時間ともいえる。 スマホがない頃は、もう少し向き合ってたかなと。


興味深かそうな本。

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Written by

けたろー。のアバター けたろー。 心理カウンセラー/魔法の質問 認定講師

心理カウンセラー/魔法の質問認定講師/自称料理研究家。

まず・・ 食に興味があり、ご縁があってカラダのことを学び、また、ご縁を頂いて心理学を学びました。ボディ・マインド・スピリッツは全て繋がっています。どれが欠けても善くない。学んできたことをゆるく語っていければなと思ってます。

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