フードロスについて思う。

こんにちは、けたろーです。 

ボクが小さい頃、『食べ物は粗末にしなさんな!』と、よく叱られたもんです。

さて、主題の件…

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フードロス。

フードロスの問題、いろいろと取り組みがなされているようですよね。

〝お茶碗についた米粒ひとつも無駄にするな! 残したら目が潰れるぞ!〟 …なんて、ことを言われながら育った世代です。 けど、今の子どもらをみてると平気で残すし、気に入らなければ平気で捨てるし。。 無理して食べなくてもよいというのがあるみたいですよね。 

かくゆう、うちの子らもそんな感じ。 そんな時は、仕方なく捨ててしまうんだけど、やっぱり心苦しいです。

こと、自分で料理したものを捨てる時とかはちょっと違った意味の感情が。 そう、作ったやつが『不味かった?』って。 また、『あれをつくろ!』って、買ったものの結局、タイミングのがして捨てざるを得なくなった食材を処分するときとか・・・ すごく、切なくなります。

作りすぎの問題。

フードロスの問題では、作りすぎによるロスも多いみたいですね。

記憶にあるのは、節分の恵方巻きで大量に売れ残ったものの処分。 今はかなり緩和されつつあるみたいですけど、ああいう出来事があると、なんだかなぁって思います。 

ホントにいいのは、オーダーがあってからの生産なのでしょうけど、なかなか難しいですよね。 あと、売る側の目利きというか、その状況に対する経験値がどうか? っていうのも。 例えば、天気。 雨の日とか天気の悪い日とか、他のイベントとの兼ね合いとか、いつもより人の入りの見込みの判断とか。

最近は少し緩和されつつあるみたいですけど、売り手側の感情的に〝棚の上には商品を切らすな!〟というの意識があるみたい。 常に、商品が置いてあることで買い手に安心感を与えるという策があるみたいです。

が… その一方で、買い手側的には『品薄』や『売り切れ』があることで、〝この商品はすごく売れているんだ! 早く手に入れたい!〟という感情があるのも事実です。 

マーケティング的に、どんな策をとるか? フードロスの問題を絡めて、よりよい策をとりたいもんですよね。

期限の問題。

賞味期限や消費期限の設定な面で言うと、それが意外とええ加減に感じますよ。 仕事柄、食品系の工場などにも行く機会があって、正直なところ、そのルールってすごく曖昧な気がしてます。

ある所では冷蔵庫(もしくは冷凍庫)から出してきた日を起点にして、消費期限を決めてるという会社さんもありました。 それも単純に、出した日に既定の日数を加算して、それを消費期限にあてるとかというルールです。

それをみてると、それ以前の工程ではどうなんだ? って思いますよね。 苦笑

学生時代、コンビニでバイトした経験があるんですけど、その当時は期限間近とか期限キレなやつはむろん廃棄。 牛乳なんかも流し捨てみたいな指示がでてました。 わずかな期限の経過でも廃棄。 まだ食べれるのに、持って帰ると怒られる。。。 本部側の指示があるみたいで、問答言わずに捨てろという指示でした。

とはいうものの、食パンとか牛乳とか持って帰ってましたけどね。笑  そうそう、最近ではそれが問題になって、ディスカウントで売られる(店側として売ること可能)ようになってきましたよね。

あと、フードロスな問題が取りざたされてきた現在では、期限の捉え方もちょっと長めに設定はされているみたいですよね。 けど、昔なんて(というか、今もだけど)、自分の鼻と味覚を信じて食べてきたという実体験があるので、個人的には消費期限とかというのはあんまり信用してないです。 笑

それに、今の時代、食品に関しては添加物の嵐。 むろん、包装技術や輸送の技術、保存方法の技術が進歩して腐りにくくなったのは確かなのでしょうけど、添加物が過度に使われているのは否めないです。 故、そもそもが腐りにくくなっていると思うんで。(^_^;) 

あと、作り手側の作り方もかなり進化してます。 特に、衛生面とか。 工場で生産される場合には、消毒などが厳格に行なわれているので、傷みにくくなっているというのもあります。 まぁ、食中毒でも出た日には、操業停止か、最悪、廃業は免れないので、その点はすごくナーバスに仕事されています。(例外はあるんでしょうけど。。苦笑)

文化の違いをどうみるんだろ?

食べもんを残す、残さない。

日本には、そもそものところ、古来から「もったいない」という精神があります。 前述したような、食べもん残したら目が潰れる! などという戒めに似た風習があるのもそうですよね。 

また、料理について言えば、残さず食べることで 『美味しかった、ありがとう!』 という作ってくれた相手への敬意みたいなのもあります。 

一方で、アジア圏をみてみると、残さず食べてしまわれる方が失礼にあたるという習慣もあるみたい。 食べきれないほどの料理でもてなして、〝残して〟 去ってくれるのが、もてなす側の儀礼。 台湾に行った時もそんな感じでした。 それはそれはもう、たくさんの量の食事がでてきます。 どう考えても食べきれない。 (^_^;)

韓国も同様な文化だと聞きました。 韓国の場合は結構有名みたいですよね。 うちの次男が卒業旅行で韓国にいってきたのだけど、聞いてると、普通に頼んでも2人前がでてくるんだとか。

で、『普通に』残して帰る・・・とか。 

けど、残すという行為は、『フードロス』ですよね。 その一方で、満足に食べれない人がわんさかいる。 なんて考えると、なんだかなぁと。 

日本では、『フードロス』を問題視して、いろんな取り組みが始まってますけど、海外のそういった文化圏ではあんまり考えられていないのは否めないですよね。

土に返るのであれば。。。

以前に、インドでの市場の話しを聴いたことがあります。

インドで滞在されている方の話しだったのだけど、マーケットにいくと、山のように果物・野菜が積んであって、どうみても消化・消費されないくらいの規模。 で、もっと、効率よく売ればいいんじゃないか? という質問に対して、彼らはどう答えたか?

〝これらは皆、土に返るんだ。〟 と。 つまり、また肥料になって戻るということ。

確かに、冷蔵庫や冷凍庫のような器材をおけば、日持ちもするし食べたい時に食べれるという環境が手に入る。 けど、それをすれば、余計なエネルギーを使ってしまうということ。 

土に返して、肥料にすることで、それはまた次の食料の糧になって、まさに循環。 合理的な話しですよね。  

でも、インドでのそれはそういった〝正当な〟自然の循環の中で築かれたことだからできるのであって、今の日本の現状を深く知れば、むしろ、たぶん自然への負担の方が大きいのかもしれないです。 というのも、農薬をはじめ、合成品が多用されているので、自然に返すのが少々厄介みたいなことを聞いたことがあります。

ロス分の食品を分解して、肥料に・・ という取り組みはすごく素敵だと思う。

けど、それ以前に、最低でも減農薬とか、食べ物であれば添加物を使わないという大々的な取り組みがあってからの方がいいんじゃないのかなって思ったりもしてます。

食べ物が身体をつくる。

食べた物で身体はできてる。 食べた物が身体をつくる。

この肉体や精神を構成するための組成の材料としての 食べ物 と思った時に、今の食って、そんな感じにはなってないのでは? って、すごく思うのです。

どちらかと言えば、『腹を満たす』ための食事。 確かに、それなりの栄養素やカロリーは含まれているのだけど、自然ではないというか、人による〝合成〟された色が濃い感じがするんです。

野菜にしても、ハウス栽培や工場栽培が主流になってきて、そこは太陽光ではなく、管理されたLEDライト。 また、土からの栄養ではなく、調合された水で育ててると言う感じ。

食べれるのだけど、それ以上でも以下でもない。 且つ、それは医療にも直結していて、要は、『満足な』食べ物を食べていないから、逆に〝病気〟に至る人が増えているのでは? って思うわけです。 概ね、食べ物と病気(健康)を結び付けて考える人は少ない気がしてます。 

食べれたらいい。 美味しかったらいい。 というそれだけの感情で、身体についてのことを考えずに単に食欲を満たしてるという感じ。 それに、栄養不足ならサプリでという・・・ けど、食べ物がもっているエネルギーは、即ち、人の活動エネルギーや身体を形成するエネルギーへと受け継がれるわけで… 

フードロスとはいうものの、トータルで考えていくべきなんじゃないのかって思うわけです。 余ったものを何とかする、もしくは、作りすぎをなんとかするということも大事なのですけど、そのもっと上流側の意識改革も大事なんじゃないのかって思ったりします。

より良い方向へ向かうことを願います。


興味深い本。

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Written by

けたろー。のアバター けたろー。 心理カウンセラー/魔法の質問 認定講師

心理カウンセラー/魔法の質問認定講師/自称料理研究家。

まず・・ 食に興味があり、ご縁があってカラダのことを学び、また、ご縁を頂いて心理学を学びました。ボディ・マインド・スピリッツは全て繋がっています。どれが欠けても善くない。学んできたことをゆるく語っていければなと思ってます。

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