先日のこと。
取引先の営業マンから電話があって、うちの得意先でもあるところから依頼があってお邪魔してきた。。という話を聴いた。 それを聴いて、その得意先での良く知ってる人に、〝一言、声かけてほしかった。。〟 みたいなメールを打ったのがちょっとまずった。
彼曰く、その件に関しては全く知らなかったみたいで。。
それは何の話ですか? そんなこと全くしらない。
と、ちょっと不機嫌そうな返信を送ってきた。
あちゃーー、やってもた。。。
どうやら、情報が社内で共有されていなかった模様。 先走ってメールしてしまったので、ちょっと申し訳ない気分でいっぱいになった・・・。
ボク自身のことを言えば、鉄工所の2代目として会社を経営していて、とはいうものの、未だに社員はおらず、法人でありながら個人経営みたいなものなんだけどね。w ちなみに、現役の親父(来年80歳。)とふたりでやってます。
仕事をしてて思うのは、仕事をしていく上で〝情報〟とは資産であり、〝情報の供給〟って大事だってこと。 情報を共有していれば、ときに大きなチャンスを産んだり、ときに、ピンチを乗り越えたり、もしもの時にはそれぞれの色んな知恵や知識、技術をスムーズに活かすことができる。
正直なとこ、親子間であってもなかなか情報共有はできてない。 汗 あ、決して親子仲が悪いというわけではなく、ただ、イチイチ伝えるというめんどくささがねぇ。 (^_^;) だから、他人のコトを言えた義理はないのだけども。
でも・・。
〝他人のふり見てわがふり直せ〟 とはよく言ったもんで、客観的に他人をみるからこそ、ウィークポイントがわかるということかなと。 (なんだか、無理やりだけど。笑)
情報共有する、共有できるってことは、社内の人間関係が良好であるということでもある。 これはあくまでボクの主観なのだけど、個人主義的な会社は情報の共有も薄い気がする。 また、上下関係がよくなかったり、部署間の疎通が悪いところでも共有と言う面では薄くなりがちだ。
共有がうまくできない場合には、会社としてマイナスな面が大きい。
情報を共有することで、もしかすると、もっといいアイデアが生まれる可能性は高いし、もしかすると、2重の仕事を防げる可能性だってある。 もしかすると、購買に関しても、もっとリーズナブルに取引できる可能性もあるのだ。
ただ、思うに。。 情報共有といえば、安直にコンピュータという発想で捉えられる場合も多いと思うのだけど、〝情報と言う物〟をシステム化して、ネットワーク上のコンピュータに挙げておけばいいかと言えば、そういう単純なことではない。 情報とは、コミュニケーション。 会話であり、対話でもある。 言葉の羅列をデータベースに載せてても、活きないのだ。
日々のコミュニケーションで得られる目には見えない〝感じる部分〟でのプラスアルファな面を含めての情報。 各自がどんな仕事をして、誰と会って、何をしてという日報のような情報も大事だろうけど、夢とか将来への展望とか、もっと奥深いところの情報。 そこの共有こそが大事なんだと思う。
だからこそ、結局のところ、システム化に頼るよりも人間関係を円滑することの方が、膨大な利益を得れるということだ。