昨日、晩ご飯を食べながらの長男との会話が、なんの流れか、仕事の話。 働くことの話から、いつの間にか会社と働く側の関係、いわゆる労使の話になってたんですよね。
こんにちは。
Worker’s Cafe のけたろーです。
心や身体のこと、日々の暮らしのこと、仕事と生活のあいだで感じたことを、ここではゆるく書いています。
さて…。 今回はこんな話です。
家族であっても、考え方まで同じではない
長男はサラリーマンなので、話が雇われている側の目線に寄ります。 給与のこと、休みのこと、会社の制度のこと。昨日もそんな流れで、だんだん会社への不満、愚痴のような話になっていったんです。 まぁ、それはいつものことと言えば、そんな感じ…。
で、そんな話の流れの中でボクは、「まあ、それは会社にもよるんちゃうかな」「最近は、働く側も自分たちの権利や利益を、かなり強く主張するようになってきた気はするな」というようなことを話しました。
働く人の権利は大切です。
会社だから何をしてもいいわけではない。ただ、会社側にも事情があって、働く側にも事情がある。 本来は両方を見ないとわからないことも多いんじゃないか。ボクはそう思っています。
会社にもよるんだろうけど、昔は、もっとアットホームで、経営側も働く側も、お互いにもっと協力関係にあって、感謝しあう中なところも多かったんではないか? って思ったので、それも伝えたんですよね。
いつものように、彼は彼の意見をぶつけてきました。 なんだかんだ長男の愚痴というか、彼の持論が続くので、つい、いつもの調子で言ってしまいました。
「そこまで言うんやったら、自分でやってみたらええやん」。
これ、ボクがちょくちょく言う言葉なんですけど、今回もつい出てしまいました。
すると長男から、
『父さんは二代目やろ。自分で仕事を始めたわけじゃないくせに、偉そうに言わんといて』
という言葉が返ってきました。 ボクも反射的に、「二代目でも、自分でやってるのと同じやで。 そうやって今まで食べさせてきたんやし…。」 と言い返しました。
そこで横にいた家内が、「その言い方はあかんで」と間に入ってくれました。 少し話の内容がヒートアップしそうなタイミングでした。 続けて、「なんで、そういう話の展開になるの?」と、ちょっと諭すようにブレーキ。

言い合いとして見れば、よくある親子の口げんかみたいなものなのかもしれないのだけど…。 でも、そのあと、彼が言った言葉が妙に残りました。
「ああ、そんなふうな考えで見てたんか…。」 って。
家業を継ぐということについても、何か言っていたと思います。 でも、正直、あまり頭に入ってこなかった。 ただ、哀しさの感情が、じわっとでてきたんです。
正直、長男の『二代目やろ』の言い方が、腹が立つというより、残念というか、すごく哀しかった。
親がどんな仕事をしてきて、どんなふうに今まで支えてきてるのか…。
子どもには子どもの見え方があるんだろうね。 親が思っているほど、伝わっているわけではないし、逆に言えば、ボクだって長男の考えていることを、ちゃんとわかっていないと思う。
家族だからわかり合える…。 とは限らない
長男と話していると、ときどき感じることがあります。 社会の仕組みや人間関係を、かなり自分側から見ているなって。 昨日も、
「相手を変えようとするんじゃなくて、自分が変われって言う人がおるけど、それを言ってる人自身が、結局こっちを変えようとしてるんちゃうの?」
という話をしてきました。 なるほど、そういう見方をするんやなと思いつつ、ボクとは考え方が違うな…。って。
ここで以前のボクなら、「いや、それは違うやろ」と強く反発したのかもしれません。 でも、そこはそれ。 それなりの学びもしているし、大人なので、ガッと言ってしまいたくなる気持ちを抑えました。
相手には相手の考え方がある。 家族だからといって、同じ考え方になるわけではありません。
確かに、「なんでそんな考え方になるんだろ」と思うこともある。 でも、そこで、親の立場で無理に自分と同じ方向を向かせようとすると、しんどくなるんですよね。
家族である前に、ひとりの人としてみる。 「この人は、こういうふうに考える人なんやな」とって、少しドライに聞こえるかもしれませんが、家族で血がつながってるといえど、あくまで「個」であって、ある意味では他人なんだと思います。
そのくらいの距離感で見たほうが、お互いに楽になることもあるんじゃないかなって。
同居しているからこそ、見えなくなるものもある
そんなやり取りがあったあと、成人した子どもとの同居について、ふと思ったんです。
一緒に暮らしていれば、当然、住む場所があって、ご飯もあります。 少なくとも、日々の生活の基盤と言える、住と食への心配は、ほぼいりません。 これは悪いことではないし、むしろ親としては、安心して暮らせる場所を用意してやりたいと思うものです。
ただ、その安心があるからこそ、見えにくくなることもあるのかもしれません。
ひとり暮らしをすれば、家賃も電気代も水道代もかかるし、食べるものも自分で用意しないといけない。 それに、体調を崩しても、基本的には自分でなんとかしないといけない。 仕事が嫌だからといって簡単に辞めれば、翌月の生活に響く。
そういう経験をすることで、会社を見る目も、社会を見る目も、少し変わるのかもしれないなって、思ったんです。 自分でやってみないと、見えてこないものがやっぱりあるんじゃないかなと。
「家を出る」は、親離れだけではない
子どもの同級生つながりのご家庭で、以前こんな話を聞いたことがあります。
そのお宅では、子どもが成人したら基本的には家を出てもらう方針だそう。 で、三人のお子さんがいらして、実際にみんな家を出て、それぞれ暮らしているとのことでした。
その話をきいたとき、「なかなか思い切った、すごい方針やな」くらいに思っていましたが、今は少し意味がわかる気もします。
同居していて思うのは、「巣立つ」という境目です。 それが、曖昧になってるのかもなって、思うんですよね。
親も手を出してしまうし、子どもも頼ってしまう。
親は「子どもだから」と思い、子どもは「親がおったら何とかなる」と思う。 その状態が長く続くと、親子という関係から、大人同士の関係へ切り替わるタイミングを失ってしまうのかもしれません。

家を出すことが正解なのかは、正直まだわからない
学生時代にひとり暮らしを始めるところもあるだろうけど、うちの場合、子どもの大学時代も、成人になってからもずっと、同居です。
それが悪い… とは、思わないのだけど、ただ、昨日の長男とのやり取りをきっかけに、「家から出るという経験は、本人にとって思っている以上に大きいのかもしれんな」と思うんです。
この点は、家内ともたまに話したりします。
一度、親元を離れて暮らせば、全部、自分事になる…。 一度は、そういう経験もした方がいいのでは? と思うわけです。
ボク自身を思えば、就職した際に、一度家を出ました。 会社には寮があったので、そこで生活していました。 寮生活と言えど、一応は、ひとり暮らしです。
親元を離れたことで、ボクにも、親にも、それなりの「適度な距離」ができたのだと思います。
家族だからこそ、ずっと一緒にいることだけが正解ではないし、離れて暮らすことで、見えなかった部分をお互いに見つめなおすきっかけになるのかなと。
子離れ、親離れ、巣立ち。 子育てにはいろんなテーマがありますね。苦笑
子にも、親にとっても、成長していく課題なのだと思います。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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ちなみにボクは、「聴き屋」として人の話を聴く活動もしています。
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