About me. – My Profile. Ver. Y2023 –

新入社員の頃。

就職先は、神戸製鋼とアメリカのテキサスインスツルメンツが技術提携して新しく合弁でできた、〝KTIセミコンダクター株式会社〟という半導体メモリーを作る会社でした。 そこでの1期生でした。

会社の1期生で入れるなんて、ものすごくレアなことだし、古い会社のような人間関係のしがらみもないはずだ! と言う志望動機で、できたばかりの会社を受けることにしたのです。 正直、半導体の『は』の字も知らなかったんですけどね。笑 

就職試験とは名ばかりの、面接試験だけで採用の内定を頂いたのは内緒です。w

面接を終え、退室した直後に『内定だから!』と言われて、 (*´▽`)y-~~ハァー と一服した時のタバコがうまかったのが今でも忘れられないな。 あれほどタバコがうまいと感じたは、後にも先にもたぶん、あの時しかなかったかも。笑 (今は、タバコはやめてます。)

あと、実は、本社工場の所在地である【西脇市】という場所も、全く知らなくて。 内定決まった後に、地図をひっぱりだして、場所を確認したのを覚えてます。 西脇市は、播州織の織物で有名な場所で、また、駅伝が強い西脇工業高校があるところで、日本のへそがあるところでもあり、その界隈では結構メジャーな街(らしい)です。

入社した頃は、まだ工場建屋が建設中で拠点になる場所がなかったんです。 なので、親会社の神戸製鋼の研修施設や親会社であるテキサスインスツルメンツの日本国内の工場でしばらく研修をしてました。

入社式を終え最初の1カ月は灘にある神戸製鋼の研修センターで新入社員としての研修。 ビジネスマナーやオリエンテーリングなどで基礎的なことをみっちり。 その後配属が決められて、茨城県にあるテキサスインスツルメンツの美浦工場か、大分の日出工場の2手に別れて現場研修があり、ゴールデンウィークがあけてから同期連中は各地へ移動。 ボクは美浦の方へ。

ちなみに同期は、皆、大学で物理だとか化学だとか半導体に関することを学んできた連中ばっかり。 研修が終わる頃には、配属先の希望を言うのですけど、ボクはと言えば、そんな専門知識も微塵もないので、工場全部が見渡せる部署がいいなぁって思って、システムエンジニアを希望して、その希望が通ったのでした。

そうそう、同期の中で高専卒はボクだけで、あとは皆、大学卒の人ばっかり。 ストレートで卒業した人もいれば、大学生活が好きで2、3年余分に歳を重ねてる人もいれば。笑  ボクは一番年下だったんで、皆からは可愛がられてました。 野郎ばっかりだったけど、仲のいい善き連中に恵まれて良かったです。 会社を辞めた今でも親交はあります。


研修三昧な日々。

美浦での研修が3カ月。 美浦では工場勤務のシフトに入って、クリーンルーム内での半導体製造の現場研修をしていました。 シフトは2交代制。 3日昼の勤務して3日休んで、その次4日間の夜勤に突入して3日休んで、昼勤になって・・ という感じの変則的な勤務体系でしたね。

茨城の研修時代は、初めての関東ってことも手伝って、同期とよく遊びました。 シフトの変わり目で江の島とか横浜の山下公園まで夜のドライブとかね。笑  ボクは車を持ってなかったんで、もっぱら、助手席か後部座席へ。 楽しかったなぁ。 いい経験しました。 

茨城での研修を終え、配属先のシステムの部署が東京・田町にある神戸製鋼のビルを間借りした事務所での勤務だったので、埼玉にある神戸製鋼の寮に住まいを移し、そこから東京通いが数か月。 実務に向けたシステム系のお勉強がスタートしたのでした。

ラッシュを避けるのに始業時間を遅めに設定されてたものの、それでも、混み具合は半端なく。(汗) 東京に勤めてる感をすごく感じました。 

その後、配属のグループが神戸製鋼の神戸の三宮に移ることになったので、移動。 実家の八尾から三宮まで通勤していました。 八尾から三宮までは通勤にかなり時間がかかるのですけど、勤務時間に少し融通を効かせてもらったので、それほど苦にはならなかったです。 しばしの『街中』生活を楽しんでました。

年が明け、工場が完成したので、本来の勤務地である兵庫県の西脇市へ。

KTIセミコンダクターの外観。 今は全く違う別の会社になってます。

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