相手を・・・させる危険な問いかけ。

けたろーです。 

『しつもん』って知ってますか? しつもんとは、問いかけること。 

では、問いかけとは? それは、相手に〝問う〟ことで、その問いを行う側に対して、もしくは、問われる相手自身に対して何かしらの答えを得ること。

目次

良しも悪しも問いかけ次第。

問いかけのやり方によっては、その相手を奮起させ、ものすごくやる気を引き出させ、ある時には相手の内なる感情や考え方を整理させる効果があったり、その一方で、相手を追い詰め、感情や行動の行き場を奪ってしまう場合もある。

ひとつ加えると、問いかけの相手とは、自分以外の人はもちろん自分自身をも含んでいる。 自分自身を含むというのは、自問自答という言葉があるように自分の内面への問いかけがあるから。

問いかけとは『諸刃』であるともいえる。 だからこそ、願わくばその相手を善き方向にもっていけるような問いかけが望ましいよね。 

問いかけの方法については、種類として大きく2種類あって、前述したように1つは、考え方をまとめたり、新しい発想を得たり、モチベーションを上げたりといった相手に対して『ポジティブ』に働く問いかけと、相手の行動や考え方、感情などに制限を与えてしまうような〝ネガティブ〟な作用をする問いかけがある。 

例えば、詰問とか尋問という問いかけがあるけど、あれはネガティブな部類になる。 なぜかと言えば、詰問や尋問は、相手を追い詰め、行動の自由や思考の自由を奪ってしまうから。

あまり使うべきでない、あの問いかけ。

問いかけについては、ボク自身体験した前職時代のエピソードがあって。

当時の先輩に、事あるごとに 

『なんで?(なぜ?)』 『なんでそうなん?(なぜそうなの?)』 

などと、やたらと『なぜ?』と聞いてくる方がいたんです。 

新人の頃は、先輩に対して応えるのが義務的な意識があったので、それを言われるたびに〝なぜ?〟に対する答えを探して返答してたのだけど、会話するたびに〝なんで? なんで?〟が始まるから、いい加減疲れてきて。笑  

たまにならまだよかったのだろうけど、毎回毎回、会話の度に『なんで?』と聞かれると、

変な回答をして怒られたらどうしよう?  
余計なことを話してまた『なんで?』が始まったら嫌だな。 
けどそもそも、それに対する明確な答えがわからないのに、
わからないと答えたら、また『なんで?』と聞かれるのがやだな。
メンドクサっ!

って。 会話のたびに、『あ~、また なんで? 攻撃始まった・・・』なんて心の中で思って、しまいには、その人と会話するのが嫌になって、今だからいうけど、言い訳つけてその先輩を避けたこともありました。 苦笑 

仕事が絡むんで、ちょっとした支障は免れなかったけどね。(汗)

『なんで?(なぜ?)』という問いかけ。 

普段、何げなく使ってる方も多いと思う。

その問いかけをする当人からすれば、自身に沸いた疑問符を単純に払しょくしたいがための問いかけだと思うのだけど、でも、それを浴びせられる側からすると『詰問』なってしまう場合があるからちょっと注意がいるよね。

なぜ? という問いかけの答えには・・・

『なぜ?』という問いかけにはおもしろい傾向があって、その答えには、ほぼほぼ〝言い訳〟しか出てこないというがあるの…. 知ってた? 

これについては、イメージしやすいシチュエーションがあるのだけど… 例えば、遅刻常習者への問いかけで、

また遅刻か・・・
なんで遅刻ばっかりしてくるんだ!

と相手に問いかけた時、概ね、電車が遅れただの、寝坊しただの、遅れたことに対する〝言い訳〟が真っ先に返ってくる。  不思議とそんな感じなるから面白いですよ。 笑  

これは子どもたちに対しても同じくです。 例えば、なんで勉強しないの? って問いかけたら、十中八九言い訳が返ってくるから、ちょっとやってみてください。 

あ、お子さんをお持ちなら心当たりアリアリかもですけど。爆

自分を振り返ると…

思い返すと、ボクのエピソードでもそんな感じだったかな。 

なんで? と聞かれたら、それに対してどう切り返そうか? 当たり障りのない答え(言い訳)ってなんだろうとか、そればっかり考えてた。 結局のところ、『なんで?』というツッコミにビビってしまって、萎縮してしまって、まともに会話ができないという状況もあったと思う。  まぁ、避けてたくらいだし。笑

自問自答でも同じ。

これは自問自答の場合でも同じ傾向だと思える。 

ある種の勉強会で、『なぜ?』を繰り返すと答えがでてくるというのがあったのだけど、たしかに、答えがでてくるのかもしれないのだけど、それはたぶん、〝自分に都合のいい〟言い訳染みた答えになってしまってる帰来があるよね。

〝なぜ?〟 の返答パターンは英語でイメージするとさらにわかりやすいと思う。 

英語では、なぜは、Why? それに続くのは、Because~  なんで? って聞かれたら、なぜなら・・・だから と答える。。よね? これってまさに、定型文。 笑

なぜ? という問いかけは、答えが決まっている場合には有効かもしれない。 でも、その答えが感情につながる事がらや思考、考え、想いとかそういった〝もわっ〟とした感覚の中での〝なぜ〟という問いかけは、あんまり好ましくないと言えそう。 

なんで? なぜ? を繰り返し問うていくと、確かに最終的な答えにぶつかる。 

でも、その答えがどうなのか? 本当に意図した答えなのか? という不安が残る。 要は、答えが一意に決まらないことがらに対して『なぜ』を使ってしまうと、問いかけた本人の都合がいい答えを誘導に近い形で導き出す流れを生んでしまう。 だから、相手を追い詰めてしまう詰問になったり、自分に都合がいいような答えを引きだす(誘導)尋問になってしまったりするのだ。

相手に対して有効な問いかけとは?

なぜ? がネガティブな要素をはらんでいる問いかけであるということは理解頂けたとして、では、その逆の相手の気持ちや考え方を整理したり、奮起させたり、モチベーションをあげるようなポジティブな問いかけはどのようにすればいいか?

どういう問いかけがそれにあたると思う?

それにはまず前提があって…  というか、これは問いかける側の姿勢に絡むところなのだけど… それは、まず、問いかけた本人が、答えを発する側の相手を急かしているという状況って、みたこと、感じたことはないですか? 

何かを問うとき、それが無言であったとしても、態度で、『早く答えろ!』と言わんばかりに圧をかけるような状況がそれです。 もし、そういった状況になるとすれば、どんなに良い問いかけをしたとしても詰問や尋問となんら変わらないのです。

大事なこと、それは…

大事なことは、答えは〝でなくても正解〟だということ。 

どういうことかというと、『答えがでない』という状況は、その時の感情や頭の中で自身の答えが見つからないというだけであって、〝でない〟ということがみつかった、わかったという状況ということだから。 

だから、でなくても正解。

何が何でも答えを出さなければならない って、仕事上のトラブルとか、何らかの異常事態への対処な場合は抜きにして、感情や思考の整理を考えた場合、

『あ~、今は答えが出せるタイミングではないのだな』

っていう自分の感情への理解でいいってことなのです。 なので、恥じることでも、焦ることでもないかなと思う。

また、問いに対しての正解を求めようとしないということもある。 

こと、ここのところの世の中は何かしらの『正解』を求めがちなのだけど、逆に、自分にとっての本当の正解ってなんだろう? って時に問うてみるのもいいかも。

答えは、自分の中にある。

答えは常に自分の中にあって、それは尊重すべきもの。 

人の思考や考え方って、千差万別。 何が正しいってない。 問う側は、仮にそれが自分の意向とは違う答えであったとしても、それを一旦受け止め、相手を認めるという姿勢も大事です。

それを大前提として、どういう風に問うか? 代表的な例を言えば、『どのように?』『どうすれば?』という問いがある。

先述の遅刻の例で言えば、なんで? の代わりに『どうすれば、遅れてこなくなる?』 って聴いてみるんです。 とすれば、〝どうすれば実現できるだろう?〟という解決策を自らが考えるようになります。

問いかけでアウトプットが変る。

でも… 思うに、 なんで? であれ、どうすれば? であれ、恐らく、問いかける側の想いの根柢って同じなんじゃないかって思うんです。 相手を気に掛けてるというベースがそこにあって、それで相手に問いかける。

けど、その問いかけのやり方で、相手の挙動やアウトプットにかなりの差がうまれてしまうってことかなって。 加えて、問いかけを行った本人にも随分と差がでてしまうということなんだろうなって。

自分の問いかけの所為で、自分にも相手にとっても本意でない答えがでてしまったのであれば、それは本望ではないでしょう?  とすれば、どういう問いかけをするか? ちょっとしたケアで相手との関係性も変わってくるので、気に留めたいところですよね。

しつもんを学びたい時の本。

〝魔法の質問〟と言えばボクの師でもある、マツダミヒロさんの本を紹介しておきます。 質問を勉強して、仕事に対しても、子育てに対しても、人間関係全般に楽になりました。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

Written by

けたろー。のアバター けたろー。 心理カウンセラー/魔法の質問 認定講師

心理カウンセラー/魔法の質問認定講師/自称料理研究家。

まず・・ 食に興味があり、ご縁があってカラダのことを学び、また、ご縁を頂いて心理学を学びました。ボディ・マインド・スピリッツは全て繋がっています。どれが欠けても善くない。学んできたことをゆるく語っていければなと思ってます。

目次