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うちに帰る。

結局、勤続は9年くらいなのですけど、ボクが退社する1年くらい前から会社の事情が少しづつ変わり始めていました。

親会社のテキサスインスツルメンツ(以下TI)がメモリー事業から撤退し、技術提携も解消された時期でもあって、社名もKTIセミコンダクターから、KMTセミコンダクターに変わったのです。 ちなみに、KMTの『M』は、マイクロン(Micron)の『M』。 

少し話を加えると… 

半導体(メモリー)というのは、ウェハ(半導体を形成していく基礎)上で如何にたくさんのチップを創るか? ということが技術の要になります。 90年代中ほどくらいから、半導体事業では新参でいて、且つ、革新的な技術力をもったマイクロンテクノロジーという会社が新しい技術でメモリー業界を席巻していました。 

その煽りでというか、うちの親会社であったTIは、技術的な面で溝をあけられ、メモリー事業としての業績が立ちいかなくなり、メモリー事業から撤退するという方向に舵を切り、神戸製鋼との業務提携を凍結するという事態になったのです。 そのため神戸製鋼は、技術提携先をマイクロンへ変えたのでした。 

なので、人事の面とかも入れ替わっていくようなタイミングでもあったりして、今から思えば、辞めるにはちょうどいいタイミングでもあったかなと思ったりします。 正直なところ、辞める時期ってのはだいたい決めてたんですけどね。

辞めたのは2000年の1月末。 ミレニアムに向かう1999年当時、その頃、世界では〝コンピュータの2000年問題〟って言う話題でもちきりでした。

2000年問題とは?

2000年になると西暦の下二桁が〝00(ゼロゼロ)〟になって、もしかすると、ある種のOSとかアプリケーション(プログラム)では、2000年を〝1900年〟として認識してしまう可能性がある… と言う問題のことです。 コンピュータ上の時間が戻ってしまうので、記録したデータがおかしくなってしまって、世界的なパニックが起きる(かも)。

という問題のことです。 

ご多分に漏れず、半導体製造機器や会社のシステムでもそのリスクが懸念されていて、ボクはその担当になっていました。 具体的にどんな仕事をしていたかと言えば、2000年になっても問題が起きないことへの確認テストを行うようにテスト方法を書いたレターを各メーカーへ送り、メーカーからの結果を集計して、問題なきことを確認して… というような業務をしていました。

会社を抜けたタイミングは、それが一段落したという時期もでもあって、そんなこんなで家業へと進んだのでした。

ちなみに、結婚したのは会社をやめる1年ほど前です。 社内恋愛です。(* ^,_っ^)ゞ


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