About me. – My Profile. Ver. Y2023 –

サラリーマンの時代。

本社工場が完成し、工場がある西脇市に移ってからは、会社の寮暮らしがスタート。 

寮では1人一室だったんで、普段は酒とタバコな日々だったかな。笑 

寮飯もあったのだけど、予約などの手順がめんどくさくて・・。 初めのうちは食べてたのだけど、段々と食べなくなって会社で済ますようになりました。 工場は24時間操業なので、夜勤者のために食堂がオープンしていました。 常勤の人も軽食くらいは食べれたので、出勤時には毎晩そこで食べて帰ってました。

寮での生活は会社に出ている間はいいのだけど、休日がヒマで。笑 

なので、ドライブがてらほぼ毎週末、実家に帰ってパワーチャージという感じの日々。 (彼女でもいれば変わっていたのだろうけど。ボソ w)

インターネットへ移行しつつあった時代。

仕事の方はというと、有意義な時期が過ごせたと思っています。 

なんでそう思うか? と言えば、ちょうど今のように通信ネットワークが一般的になる前の段階から、そういうことに携われたから。

さすがにアメリカという国は進んでいて、入社した90年代初頭から社内LANが整備されていて、当時から電子メールも普通に使っていました。 もっとも、アメリカのシステムなので、日本語が使えるわけでなく英語でしたけどね。w

社内ネットワークの構築とか、システムのセットアップとか、工場内のオンライン化(情報の自動化)とか… コンピュータを使ったシステム全般な仕事ができたので、それがすごい糧になっています。 

が、しかし…。 例えば、ソフトバンクの孫さんとか、楽天の三木谷さんが出始めたのもこの頃。 スタートは皆一緒で、要は、ひらった知識で、それをどう活用するか? だから、もっと活用しとけばよかったなとちょっと反省。 のちの、Youtubeなんかもそうかな。 知ってるだけではダメなんだよなぁと、今更ながら反省。

話を戻して。。。

1期生ということもあって即戦力的にいろんなことをやらせてもらえたのもありがたかったかな。 それに加えて、立ち上がったばかりの会社ということも大きかったと思います。 とにかく、やりたいようにやらせてもらえた。 すごく風通しのいい会社でした。

社員間の呼び方も『さん』づけ。 役職で呼ぶこともなかったです。 

工場増設も経験。

入社4年目くらいの時にちょうど工場増設があって、それが大きな経験でした。

入社1年目で新しい会社、新しい工場に入ったといえど、その工場に設置する機器類については当然、既に決められている状態であって、システムについても同じく開発が進められている状況。 

でも、増設の時になるとシステムのデザインなど、初めから関わることができたのです。 

装置のオンライン化といって、半導体製造装置と会社のホストコンピュータを通信回線を使って繋げるということについてのシステムを担当していたので、工場に機械を据え置く前の検査で、あちこち出張にも行きました。 システムの立ち上げ、立会にいろんなところに行かせてもらったのもいい思い出です。 

一番印象に残ってるのが、2度の渡米。 2回とも1週間という短期ながら仕事でアメリカ(テキサス)にいかせてもらったのはすごくいい経験になりました。

1度目の渡米は、初体験の海外でした。 親会社のアメリカの会社がつくったシステムを導入するということで、同じ部署の同期と、そのシステムを使う部署の上司にあたる人ととも渡米したのだけど、ジェットラグ(時差ボケ)がきつくて。。 でも、ちょうどクリスマスシーズンだったので、日本とは違う風景がみれましたよ。

2度目も導入するシステムの研修で。 でも、この時は常駐してるソフト担当の人と、後輩の3人での出張だったので、かなり気が楽。笑  フリーな時間もあったんで、ドライブしてテキサスの南部地域にも行きました。

あと、日米の合弁会社だったので日本の仕事文化とアメリカのやり方の両方を感じることができたのも大きかったです。

日本としての工場システムの考え方、機械設備の運営の方法や考え方とアメリカのそれはかなり違っていて、上層の方で時に諍いがあったりしてました。 アメリカはどちらかというと合理的。 機械・設備は故障するのが当たり前という考えがベースにあって、停まったら、リセットすればいい…と。 一方の日本は、絶対停めたらアカンというのが前提。 停めないようにするためには? ということが第一優先でした。

ということを思うと、その目線で社会を見ると日本の社会構造・サービス自体がそうなってるような気がしますよね。

有休消化率100%。

西脇時代のプライベートでは、有休とかの取得に関しても、それほどうるさくない社風だったんで、有休消化率はとてもよかったです。笑  最大40日もらえるのだけど、毎年20日間は消化してました。

ある時は、仲の良かった同期と北海道ツーリングの話題で盛り上がり、それが高じて、学生時代に買えなかったバイクを買い、定時速攻で会社を飛び出て、舞鶴港へ直行し、そこからフェリーで小樽へ… という感じで会社を1週間ほど休んで北海道へ行きました。  

また、船舶免許を取って同期保有のボートで遊んだり、初めて行った沖縄で体験ダイビングをして、以後、スキューバダイビングにはまってライセンスをとって、沖縄とか、グアム、プーケット、セブとかいろんな場所に潜りにいったりとか… 

上の写真は、石垣島で撮ったマンタの写真。 もちろん、この当時はデジカメじゃなくてフィルム写真。w 石垣島へは、会社の設立記念で配られた特別ボーナスを使って一人旅してきました。

あと、独りでグアムはちょくちょく行ってましたね。 実は休日になるとシステムのトラブル対応があったので、その担当になるのが嫌で。ww  国外逃亡的な感じで。笑  ともかく、結構、遊びましたよ。笑

しかし、恋バナはあんまりなかったかな。w でも、正直なところ、モテ期ではあったような… 笑


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