About me. – My Profile. Ver. Y2023 –

サラリーマンにオレはなる!

その当時の高専卒業後の選択肢として、大学への編入をするか、もしくは就職するか? という道がありました。 (今は、もう少し、多岐になっていて、専攻科というその先のクラスに進むという道もあるようです。)

就職する場合には、高専への求人倍率はものすごく高くて、名だたる有名・優良企業からのオファーがたくさんあります。 就職率もほぼ100%。 受ければ受かる! そんな感じ。笑 (今は、どうか知りませんが…。) 

ボクの頃はちょうど景気がまだよい時代。 映画の〝就職戦線異状なし〟さながらな頃だったので、募集先企業もよりどりな感じでした。

大学編入か、就職か? 

ちょうど景気が良い時代にあって〝売り手市場〟で就職先を決めれるのは今ぐらいしかないだろうという考えから…ボクが選んだのは就職でした。 な~んて、偉そうに言いますが、実際には大学に編入できるだけのアタマがなかった。w 

でも、編入して大学進学を選んだ連中は、その後の就職難でかなり苦労したみたいだったので、結果的によかったのかも。


就職先を決めるその時分、実は、うちの親父が独立起業して2年ほど経つくらいな時期でもあり、外に就職してサラリーマンになるか、または、就職先を親元にするか? の判断を迫られる時期でもありました。

いずれは親元に帰るかもです。。 

そんな話を担任に話すと、先生曰く『いずれ親元に帰るというので就職するのはマズイな』とのことだったので、その話題は封印。 当然と言えば当然ですよね。 企業側もすぐに辞めるような人を採用したりはしないでしょうし。笑

で自分の気持ち的には、

卒業して、そのまま親元に入ったら全く持って世間知らずになってしまう。 第一、仕事でも家に帰ってもずっと親と一緒っていうのは、なんか嫌だし・・。 彼女をつくる出逢いもないやんけ! 

っていう理由から、サラリーマンになることに決めたんです。 w 

その時の決断では、自分の中では、【見合いで結婚するのだけは嫌だ。】という感情が一番大きかったかも。(大笑) 

父親からは面と向かって『すぐにうちに入ってくれ』とは言われず、強制もされなかったのだけど、今から思えば、母親の〝遠回しな〟プレッシャーの方が強かったような気がして、そこへの反発もありましたね。

それは、例えば、『一緒に仕事したらお父さんも喜ぶのに…』 と言った類の言葉使い。 母親的には何の気なくしゃべってるんだろうけど、事あるごとにそういったニュアンスや話題がでてくるのが嫌で。w

【オレは、親の操り人形なんかじゃない! オレはオレの人生を生きたいんだ!】 

なんて強く思ったりもしましたよ。 ちょっと余談ですが。。 高専のとき、国語の授業でイプセン作の『人形の家』という話しがあって、それの中で、『傀儡』という言葉がでてきたんです。 それが強く頭に残っていて。。 傀儡とは、操り人形のこと。 人形の家もちょうど、そんなストーリーでした。(詳しくはこれで。)

親父が企業に勤めた経験がないので、まぁ、家に戻るにしても、サラリーマンを経験しておけば、それが何かの役に立つだろうとも思ったわけです。


『技術立国日本』 日本の世は半導体全盛期。

時代背景的に、当時の日本は『技術立国』とも言われるくらい工業がイケイケな状態で、且つ、半導体が〝産業のコメ〟ともてはやされたのもこの頃です。 名だたる大手企業が半導体事業に対して積極的に参入している時期でもあり、ちょうど、神戸製鋼が半導体製造会社を設立し、1期生として募集していたので、そこに就職することを決めたのでした。

高専という立場柄なのか、採用試験という試験はなく… 面接だけで即日内定。 (*゚ー゚)v  

ちなみに、当時は内定式(就職前の懇親会)と称して、神戸製鋼の保有の保養所で立食パーティがあったりとそれはそれは、豪勢でしたよ。w

補足: 先制主義な就職活動。

高専での就職活動を少し補足しておくと、高専での就職活動は 『手を挙げたもん勝ち』 なのです。 つまり、先制主義。

どういうことか? というと、募集してきた企業に対して1人が何社も受けれるわけではなく、各個人が吟味した上で、『ここを受けたい!』 と立候補するんですよ。 その会社に対して先に手を挙げた子に優先権があります。 

基本的に1人1社というスタンスで入社が決められていくので、決断を迷っていたらあまりいい会社が残っていなかったりする… のです。


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11