幼少の頃の話し。
生まれも育ちも大阪ですが、現在の住まいは奈良県です。
関西圏で
奈良に住んでるよ。
と言うと、「あ~。。。」という声が多いのだけど… 笑
関東の方に言わせたら「いい地域にお住まいですね!」と言われます。 大阪市内に比べると利便性が劣りますが、なんせ古都ですからね! 歴史的には奈良県は京都よりも、格段に上で、古いのです。笑 余談はこれくらいにして。
ひ弱で気弱な幼少期。
幼少期は病弱で身体(カラダ)も強くなく、3歳くらいの時に紫斑病で入院したことがあります。 親からは死にかけたと聞いてます。 喘息持ちではなかったのですが、気管も弱く、すぐに風邪を引いてしまうような体質の子どもでした。
幼稚園のとき、友達と公園の遊具で遊んでいて高いところから飛び降りて骨折したことがあります。 普通、着地の瞬間には膝を軽く曲げて衝撃を吸収させるような動作をするのですけど、何を思ったのか、膝を伸ばしたまま着地したんですよね。 そしたら、折れた。(A;´・ω・)アセアセ いわゆる、運動音痴な子どもだったのです。苦笑
正直、運動は得意ではなかったです。 走るのも、ボールを使ったりするのも苦手で、体育の時間が苦痛でした。 ある時、地域の野球チームに入らないか? と誘われ、体験で参加したものの、ボールを取るのが怖くて… すぐにやめました。w
教えてくれるおじさんたちの雰囲気も怖かったのもあって。(体育会系のノリが嫌なのは、この頃の体験からなのかも。) もっとも、親の勧めで剣道はしてましたけど、強くなかったです。 礼儀作法だけは、インストールされました。 笑
小学校2年の秋か初冬の頃に東大阪市から、今の実家がある八尾市へ引っ越ししてきました。 転校初日は、転校生あるあるの『ケンカ強い?』だの、なんだの、好奇な目で見られたりの応酬。
同じ大阪でもエリアが違えば、教科書も違い、授業の進み方にも差があって、となりの席の子が教科書を見せてくれないなどというトラブルにあったりもしました。
小4くらいまでは、いじられては、すぐに泣くような感じの子どもでしたね。
人見知りのシャイな性質で、人前に立ったりするのが苦手で苦痛。 『声が小さい、聞こえませ~ん!』 という一言で萎えることしばしば。 その当時の〝トラウマ〟は、今になってもちょくちょく現われたりします。
小4の頃くらいには、風邪をこじらせて肺炎にかかって入院したことがあります。 結構、やらかしてて、なんせ、肉体的にもひ弱で、かつ、精神的にも気弱な小学生でした。
水泳を始めたことが転機に。
でも、小学校5年に行った夏休みの〝水連学校〟で、転機がありました。
大阪の真田山というところの野外プールで、その当時、夏休みの期間だけやってる水泳の学校があり、そこは入校するのにも結構な倍率。 ホントは小4の時に行くはずだったのだけど、肺炎で入院したので予定が流れてしまってて、親にお願いしてリベンジ。 で、その甲斐あってか、自分に〝自信〟がついて、ひ弱さから少し脱皮したのです。笑
まぁ、自信って言ってもほんの些細なことなのですが、〝25m泳げた!〟ことと水泳のお陰で身長がグッと伸びたこと。 それがきっかけで、かなり変われました。 今から思うと、背が高くなったことで周りの目が変った気がします。
中学に上がって、その頃の世の中は〝スクールウォーズ〟全盛な時代。 各学校で校内暴力が横行してたのです。
通ってた中学も日常的に校内暴力があったりして… 構内の教室のガラスが割られたり、生徒間の乱闘、もしくは、先生と生徒が乱闘、また、気弱で陰気な子が狙われる環境でもあったので、通り魔的な待ち伏せがあって、ターゲットになった子はボコボコにされて、血まみれになったり… それはそれは恐ろしい時期でしたね。
今と違って、言い換えれば、わかりやすいというかなんというか… 暴力・言動・挙動による自己主張が激しい時代でした。
その頃のボクはと言えば、自分で言うのもなんですが〝賢い部類〟にいました。 でも、ヘタすれば【ターゲット】にされかねないような立場だったのですけど、実は、斜め向かいに住んでる同級生が〝オオボス〟で、且つ、親同士が古くからの顔見知りだったいうこともあって、難を逃れて、ある意味、守られてました。w
親さまさまで、非常にラッキーだったんです。 (^^ゞ